中間運転台の荷物棚

怪文書的なことから色々思ったことを書いていく。記事内容は全て筆者個人の見解であり、所属している組織の思想などではない。

濃厚接触者になった話

こんばんは。結論から言うと先週1週間自宅で隔離されていました。

なぜかというとその前の週に会った人が新型コロナウイルス感染症と診断されたからです。

そしてその人と会食していた私も濃厚接触者と認定されたので今回はその話をしていきます。

 

発端

3月18日。勤務中の休憩時間の時に前述の知人の親族からメッセージが届いていた。あまりやり取りをしない人物だったのでなんだろうと思い開いてみると「昨日(知人氏)と会いましたか?彼がコロナ陽性の判定を受けました。体調などはどうでしょうか?」(要約)という内容のメッセージだった。「マジか」と思い、とりあえず「昨日会ったが体調に問題もない」という旨の返信をし、勤務終了後上司に報告、名古屋市の新型コロナ電話窓口に電話をしたところ「濃厚接触者の疑いがあります。」と言われたことも付け加えると「とりあえず検査だけ受けてきてほしい。話はそこから。」と言われ、この日はまっすぐ帰宅。電話で自宅にいる父親にもこのことを報告し、自室に隔離されるために不織布マスクと消毒用アルコールジェル、そして洗面所に専用のタオルを設置してもらい、翌日検査することとなった。

 

隔離生活

 翌日、名古屋市内で検査を受ける。行ったのは唾液によるPCR検査である。この検査ではまず容器とストロー、そしてラベルが入った袋をもらい、パーテーションで仕切られたスペースで袋を開け、容器にストローで唾液を一定の量入れるというものである。スペースにはレモンと梅干しの写真が掲げられている。おそらく「これを見たら唾液が出るでしょ?」と言いたいのだろう。以前聞いたオードリーのオールナイトニッポンの中でコロナから復帰した直後の若林が「酸っぱいものの画像を見ようと検索したら”酸っぱいものを食べた後の春日のリアクションの画像"が出てきた」という話をしていたことが脳内にチラつく。結果が出るのは次の日で、15分もたたずに検査を終えてそのまま帰宅、昼食後はそのまま自室に入り、食事とトイレ以外の時間を自室で過ごす生活が始まった。

 翌日、検査結果がメールで届き、結果は陰性だった。とりあえず一安心したが陰性でもその後陽性になるパターンもあるらしいので気を抜かずに隔離生活を続けることになった。職場にも陰性だったことを報告したところ「保健所に電話をしてその指示で会社が動くことになっている」というので保健所に電話をしてみる。日曜日なのでつながるのは居住地域の区ではない保健所だった。対応は早かった。

 

ぼく「コロナのことで…」

電話「あーーーそのことだったら専用窓口に!」

ぼく「いや、濃厚接触のこと…」

電話「(遮って2日連続で電話している分かり切った番号を伝えようとする)」

ぼく「知ってるよその番号!」

電話「あーそうでしたか…」

 

こんな感じである。電話に出たのはどうも保健所の職員というよりは警備員のようで、すでに保健所は濃厚接触の疑いレベルでは話すらされないらしい。このことを会社に伝え、「役に立たねえなあ」と多少の怒りを覚えながら昼寝した。とにかく寝ることぐらいしかやることが無いからである。

 

 上記の電話をしている途中でこのクソウイルスに振り回されている数日間の間で初めて怒りの感情が出た。理由は陽性となった知人でもないし職員でも何でもなさそうなのに判断をする保健所の電話でもなければ、2日続けて逆転負けを喫したオリックス・バファローズでもない。連絡先が多すぎることに憤りを覚えていたのだ。

名古屋市の専用ダイヤルは毎日・24時間対応している。ここは役に立つ、もしここに電話をしていなかったらそのまま何をしたらいいのか分からなかっただろう。このダイヤルには頭が下がる思いである。

上司への報告電話は必要不可欠だ。上司に報告することで会社にも濃厚接触者で欠員が出たことは知らされるからだろう。

しかし問題はここからである。上司の上には"会社"という組織がある。この会社からの指示が上司を通して私のもとに来るのだが、その時に「保健所に電話しろ」「専用窓口が言ったことを伝えてくれ」ということで何回も同じ場所に電話をするのだが、子の手間が非常に面倒くさいのである。

この2~3年間世間を騒がせているこのウイルス騒ぎにより、ただでさえ気が立っている中「あなたは濃厚接触者です。」と言われ、さらに気疲れしているときに何度も何度も電話を掛ける、この手間がどんどん蓄積され、保健所の対応が決勝点になったのである。例えるなら内野ゴロの間の1点だろうが、それまでの間にランナーは何度も得点圏に進んでいたのである。俺は世の中が憎かったのだ。

 

本人とのやり取り

 正直に言って今回の発端は感染者である。ただし1日に日本全体で数万人も出ている中、もはや恨みっこは無しだろう。だから私自身もこれに関しては特に何も思っていない。もし今感染して、この記事を読んでいる人が居たら伝えたいのは「とにかく周りに知らせてくれ、特に親族に。」ということである。前述の親族とはその後何度もメッセージのやり取りをしていたが、本人の発言と食い違う箇所があった。つまり親族は本人の現状を知っていなかったのである。私は「なぜそれを親族に報告しないんだ!」という旨のメッセージを送った。本人も反省しているようなのでこれ以上は追及しないが、とにかく親族にだけはすべてを話してほしい。もちろん家族や親族が感染者になった方も本人に聞けることはなるべく多く聞いてほしい。

今回私のケースも上司から「感染した知人はどうしているの?」ということを聞かれたのでここで食い違うと上司に間違った報告をすることになってしまう。とにかく家族や親族への連絡はちゃんとしてほしい。それを伝えたい。

 

隔離生活の終わり

 隔離7日目。毎日体温を測り、わざと味の濃い食事をとって味覚と嗅覚の確認もしていたが特に何の問題もなく、何もなくこの隔離生活は終わることとなった。この7日間は特に家族に迷惑をかけてしまったと思っている。その一方でマスクの着用や手洗い消毒を徹底した自分の感染対策が間違っていなかったということも気づいたのだ。とにかく言いたい、マスクをしろ。手を洗え。

 上司に電話をして翌々日(翌日は元から休日だった)から職場に復帰したが、その時にも上司や同僚から「よかったねえ」と言われ続けた。とにかくこの7日間は人の優しさやクソッタレな部分も多く見え、自分の人生で忘れてはいけない時間だったと感じた。

 

さいごに

 もう一度言うが私は感染者自体を攻める気は毛頭ない。感染したこと自体は親族に連絡が言っていたしそこはよかったと思っている。街中を見ると未だに店や道端でノーマスクのバカそうな集団を多く見かけるのだが、今の精神状態ではとにかく"消毒"が必要なのではないかと思うほどになっている。このパンデミックはまだ終わっていない。私自身も、そして周りもずっと健康でいることを願っている。

 

最後になってしまったが今回第一報の連絡を入れてくれた親族氏、代わりにライブのチケット代金の建て替えをしてくれたフォロワー氏、名古屋市の専用窓口の人、検査をしてくれたセンターの人、上司や同僚、そして7日間気が気じゃなかったであろう家族に感謝の意を表してこの記事を締めくくりたいと思う。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。