こんばんは。
この記事は「ションベベベント・カレンダー2020」の一環としてお送りします。
前回はフェンリルさんの記事でした。
fenrirlaboratory.hatenablog.com
クリアファイル、自分は普通に仕事で使っています。
今回の記事は「アイマスとの出会い」をテーマにお送りしていきます。
1.出会い
最初にアイマスというコンテンツの存在を知ったのは2010年の夏ごろ。当時高校1年生の時にニコニコ動画で出会ったある動画の存在がある。
ご存じ(ご存じなのか?)組曲「ニコニコ動画」。この動画内でアイマスの曲「エージェント夜を往く」が使われているのは有名である。まあ頭に残るからね、仕方ないね。
しかしこの時はまだハマるようなわけではない、話は2011年、春に東日本大震災が発生し、自分の所属している高校の鉄道研究部も合宿を*1中止にせざるを得ない事態になり、いよいよ迎えた夏の合宿で中国地方を旅することになったことがきっかけである。
ニコニコ動画には「ニコニコ鉄道旅行記」なるタグが存在する。ここでは文字通り鉄道旅行記の動画が多数存在しており、当然その中には中国地方を旅するような動画もあるだろうと検索して色々な動画を見ていたある日、ある動画に辿り着く。
引用するために久々に見に行ったら動画が消えてしまっていた。悲しい。
いわゆる「旅m@s」の動画である。旅m@sとは、アイドルマスターのキャラクターの立ち絵を使い、一緒に旅をしている気分になるような動画であるが、これがきっかけでどんどん他の旅m@s動画も見るようになっていく。
そこに畳みかけるように放送開始されるTVアニメ版「アイドルマスター」(アニマス)、もうこの時点で今の自分がどうなるかは決まっていたかも当然だったのである。
余談だが筆者は上記の合宿中、広島のホテルでアニマスを見ていたら次の日寝坊したことがある。バカが代。
2.停滞期~デレに出会うまで
2011年~12年の年始にかけて放送されたアニマス(CBCの放送が1周遅れだったのが悪いからツッコミはしないで欲しい)を見た後、高校卒業ぐらいまでの1年ぐらいはちょいちょいアイマスに触れる機会は旅m@s、あとはノベル系の動画だったりなど前年よりは深くなっていった、しかしこの時期は深夜アニメを毎クール5~6本見ていたこともあり、どんどんと自分の中でのアイマスは埋もれて行ったのである。決定打となったのが2013年の冬に放送開始された「ラブライブ!」のアニメであろう。*2この後専門学校に入学し、就活を経て卒業するまでの2年間はほぼアイマスに触れるような機会はなく、ちょいちょいテレビCMで流れる「シンデレラガールズ」(デレマス)の存在を知ってるぐらいであった。
2015年の冬、デレマスのTVアニメが(デレアニ)が放送開始されると、とりあえず「アイマスに久々に触れるかー!」という心構えで視聴を開始した。有名な未央がアイドルをやめると言い出すシーンや、自分の気持ちをプロデューサーに伝えられない蘭子が葛藤するシーンなどが印象に残っているがとりあえずこの時点では「ちょいちょい見ている深夜アニメの一つ」という感じで視聴していた。*3さらなる転機はこの年の後半に訪れることとなる。
3.最大の転換点・デレステ
2015年8月1日、この日の空は20年と半年生きていて一番綺麗に見えたのかもしれない。この日、新卒で入ったブラック企業と見事決別を遂げた後、挨拶や後片づけを済ませて会社のあるビルを出た時の空は本当にきれいだった。この後1半年ぐらいは北海道旅行や専門同期との飲み会と徹夜カラオケなどに明け暮れ、その後は色々な勉強を始めるための充電期間に充てていた。そんなある日、「シンデレラガールズのリズムゲームがリリースされる」との情報を耳にしたのである。*4それを聞いて興味本位で事前登録、そして9月10日*5、リリースと同時に遊んでみることにしたのである。これが「デレステ」との出会いである。
ルーム機能なんてのも当時は「すげええええええ」なんて思っていた。
その後ゲームを進めていくにつれて一人のアイドルに目が留まった。
小日向美穂。のちの担当アイドルである。デレアニで目にはしていたけどショートカットでかわいいのですぐにルームに配置したりしていた。
次に出会ったのが
松永涼。美穂の次に担当に迎え入れたアイドルである。
ボーカルとして所属していたバンドの解散をきっかけに転身(というかスカウトしたのだが)したアイドル。「歌」に自信を持つ彼女の姿勢にほれ込んだので次第に好きになっていったという経緯がある。
そしてその次に出会ったのが
八神マキノ、趣味が諜報活動とかいうクールなアイドル。出会ったのは2016年の年始だったのでよく覚えているが、まず見た目が刺さった。
なんで喋ってくれないんだろう…
それでも担当に迎え入れるのはこのだいぶ後のことである。*6
そしてその次に出会ったアイドルとの出会いが自分のPとしての運命を変えていったのである。
藤本里奈。工事現場で働いていたところをスカウトされたギャルアイドルである。今じゃ「つるまー=藤本里奈」みたいな感じだが、出会ったのはだいぶ後の話なのである。
この時は言うほど気に留めてなかったが、ある日夢に出てきたのがきっかけで突然気になり始め、一通りコミュをもう一度再生し、MVとかを見るような時期が続いていった。見た目とは裏腹に自分のことを「バカだ」とか言ってしまうが「そんなことないよ!」とこっちから言葉が出るような、そんなアイドルであることが分かってきた。
どうも自分の傾向は「知らない間に好きになっている」というのがあるらしい。それを再認識させてくれたのが彼女の存在なのである。こうして4人(この時は3人)の担当と共にデレステにのめり込む日々が始まったのである。
5."サイコー"の瞬間まで
藤本里奈を担当にしてからの日々はとにかくデレステが楽しかった。それまで「なんとなく」でやっていたデレステで「ファンを増やす」という目的で担当アイドルを中心にファンを増やして行ったりとか(割と平等なので誰かみたいに億単位なんてのは行ったないが)、MVのスクショをとりあえずSNSに上げまくったりするような楽しみ方を見つけたのである。
その後、向井拓海とのユニット曲「Virgin Love」のイベントで無理のないように走ったり、初めての現地だった6th西武Day2で聞いて盛り上がったり、特にアイマストドン上で「藤本里奈=つるまー」のイメージを定着させることが出来たのが嬉しかったのである。そして2019年、ソロ曲がもらえると知った時はインフルエンザだったのを忘れて喜びを爆発させ、色々な人から自分が祝福を貰ったりしたのである。
迎えた7th幕張公演の初日*7
この日は藤本里奈のソロ曲目当てで来たので、ライブ中ですら「本当に今日聞けるのか?」という感じで鑑賞しており、気が気でない感じであった。
ソロ曲「LOVE☆ハズカム」のイントロが流れた瞬間は思わず安心し、小さくガッツポーズした後は担当の晴れ舞台をとにかく楽しみ、サプライズで披露された里奈の居るユニット「セクシーギャルズ」の「Gossip Club」でもう一度ブチ上がった。
終演後のLTL*8を見て今一度「ああ、サイコーだったなあ…」と空を見上げた。
2019年9月3日。この日の空は24年と9か月生きていた中で一番綺麗だったかもしれない。
6.おわりに
「道のりは遠くとも、目標に向かって進めば、一歩一歩近づくんだ」
確かに藤本里奈と出会ってから幕張公演までの道のりは遠かったが、ユニット曲イベント、SSRの実装、ソロ曲・デレステメインコミュ実装と一つ一つの積み重ねでこの「サイコーの瞬間」を迎えることが出来たと思っている。今は先ほどの4人に白雪千夜を加え、担当アイドル5人でデレステをプレイしている。今思えばあの時、ニコニコ動画で「中国地方を旅してる動画ねぇかなあ~」なんて探していなかったらこんな時は迎えていなかったと思うし、今のような交友関係は築けていなかったと思う。アイマスは自分の中でもかなり大きい存在になっていたなあと実感した。
来年からは16年目を迎えるアイマスというコンテンツが、ここからますます発展していくのを願ってこの記事を締めることにしたいと思う。もちろん、これまで通りに楽しんでいくスタイルで行きたいと思う。
長文雑文でしたが、読んでくださってありがとうございました。
次回の記事は知らない間に日向坂にドハマりしていたねぎまぐろさんです。こちらも担当アイドルとの出会いを書いてくれるそうです。どうぞお楽しみに。
おわり。
*1:予定では関東・北陸を回る予定だった。
*3:ちなみにこの時お気に入りだったのは蘭子とアーニャだった。この2人の担当になっていた世界線もあったと思う。
*4:リズムゲームに関してはラブライブの「スクフェス」でもうだいぶやり込んでいたので特に何も思わず。
*6:なぜ?と思われるかもしれないので書くが、担当になるには「1年以上個人的なブームが続く」という条件があるらしい。知らんけど。
*8:ローカルタイムライン。マストドンの同一インスタンス内の書き込みが流れるタイムライン
*9:毎日オリオンズ(現ロッテ)、阪急ブレーブス(現オリックス)、近鉄バファローズで計20年監督を務める。8度のリーグ優勝を成し遂げるが、一度も日本一になれなかったことから「悲運の名将」と呼ばれている。